公津原古墳群第39号墳
「古墳」をこんなに間近に、ゆっくり見られる機会は、なかなかありませんね。
中学生の時の修学旅行で、奈良に行った時以来でしょうか。
この古墳は、「伊都許利命」の墳墓とされています。
『麻賀多神社(船形)』の一の鳥居のすぐ右に、この墳墓の入口があります。
ここも、パワーが強いそうで、ちょっとした雰囲気を出しています。
墳丘の大きさは、東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方形墳です。
「伊都許利命」(いつこりのみこと)
神武天皇の御子「八井耳命(やいみみのみこと)」の8代目の御孫、応神天皇の命により「印旛国造」としてこの地方を平定され、産業の指導などに多くのご功績を残されています。(墳墓前案内板より抜粋)
神社と古墳の組み合わせについて
ところで、神社の境内に古墳(=墓)があるのって、「?」ですね。
神社(神道)は、穢れを禁忌としていて、「死」は穢れの最たるものなはず。
従って、本来、神社境内には穢れを持ち込まない主義で、基本的にはお墓(埋葬)はありません。
しかし、神社と古墳の組み合わせって、結構多いらしいのですね。
古墳は、当然ながら、古代の有力者(その一族)のお墓です。(一般人は、お墓すら無く、遺体は山とかに放置状態のことも多かったとか・・・。)
で、有力者のお墓をお守りし、宗教的行事を執り行うことが必要になってきました。
そこで、神社と古墳を合体させて、永続的にそのお墓をお守りしているのです。有力者の墳墓は、特別なわけですね。
神社ではなく、お寺が古墳と合体しているところもあるようで。
いかにも、「効率」を優先させた、日本人的な思考であります。
ま、こういう緩やか思考なとこが、神道の良いところでもあると、私は思います。
ところで、この「伊都許利命墳墓」の東に「伊都許利神社」の名だけがあり、(現地には「金毘羅神社」がありますが)元々は、「伊都許利神社」が、この墳墓をお祀りする役目だったのではないでしょうか。
そもそも、この神社は、伊都許利命の墳墓ができる前からあったわけで、子孫が伊都許利命を祖先としてお祀り・お守りするのに、境内に墳墓をつくることは、理にかなっているわけです。
神社は、高台の最高の立地にあるので、有力者の墳墓をつくる場所としても適しているという理由もあるでしょう。
また、『麻賀多神社(船形)』の神官の家は、伊都許利命の後裔だそうで、系図もあるそうです。
御朱印はこちら。
こちら「奥宮」にも、もちろん社務所があります。
台方の方が、社務所閉まってたので、こちらも閉まっているだろうと、思いきや・・・。
思いっきり人がいて、社務所が集会所と化しており、窓口には「御朱印はこちらで。300円です。」といった案内あり。
『麻賀多大神宮』とあります。
あれは、「トイレだ!」
それでは、最後になりましたが、トイレは何処?
社務所の後ろの方に、それはあります。
簡易トイレのような外観、使用する勇気がありませんでしたが、問題なく使えるとは思います。比較的、新しい感じ。
さて、この古代ロマン溢れる『麻賀多神社(船形)』、猫田家おススメ度評価は?
☆☆☆☆☆(満点)!
『麻賀多神社』には、謎めいた部分が多く、周囲の古墳群といい、魅力がたっぷりです。
また行きますよ~!
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