まだまだお参りしますわよ!
『北口本宮冨士浅間神社』本殿を裏手へ回り込めば、
まず左から「神武天皇社」があり、次に「東宮」があります。
「東宮」って?「西宮」もあるけど・・・。なに?
この神社の社殿は、仁和3年(887)より、造営が重ねられました。
貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建した社殿が、現存する中で最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、お遷しされました。
また、文禄3年(1594)浅野氏重氏造営の社殿は、「西宮本殿」として西側にお遷しされています。
現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次氏の創建で、いずれも国指定重要文化財だそうです。
武田信玄公は、ここで、戦勝祈願もしたらしいです。
・・・と、感心しながら、お参り。
神話の神様たち
で、「東宮」と「西宮」の中間、ちょうど本殿の真裏に、「恵毘寿社」があって、大黒様・恵比寿様がいらっしゃいます。
ご利益は、もちろん「商売繁盛」。丁寧にお願いして参りました。
大国主命(大黒様)は、「古事記」「日本書紀」神話で、天孫に「国譲り」をしたんですね。
大国主命の子の事代主命(恵比寿様)も、「国を譲る」とおっしゃいました。
ちなみに、もうひとりの子、建御名方命(たけみなかたのみこと)は、「国譲り」を迫った武甕槌大神(たけいかづちのおおかみ)に逆らって、戦い敗れ、やっと信州まで逃亡し、のち諏訪大社に祀られたんです。
ここ『北口本宮冨士浅間神社』境内にも、摂社(末社)の『諏訪神社』があります。
で、「国譲り」にて、天孫が降臨してその3代後に「初代・神武天皇」が誕生されるわけで。
で、で、その降臨された「天孫」というのが、ここ『北口本宮冨士浅間神社』の御祭神でもある「天孫彦火瓊瓊杵尊」なのです。
また、この「恵毘寿社」の「富士ゑびす」は左甚五郎作。
そして、「西宮」の横には、「祖霊社」や摂社末社がずらっとならんでいます。
吉田の火祭り
境内の本殿向かって右手、『諏訪神社』があります。
御祭神は、建御名方命。ご利益は、「開運」。
元々は、この地の産土神を祀っていたそうで、「鎮火祭」(「吉田の火祭り」で有名ですが)は、こちらの「諏訪神社」の例大祭なんだそうです。
8月26・27日頃に斎行されます。
こんな、赤い富士山と浅間神社のオブジェも。
それでは、次回は、御守りとトイレのお話です。
(続く・・・・・。)
北口本宮富士浅間神社ぎゃらりー【Kitaguchi Honguu Fuji Sengen Jinja Gallery】
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