霊気に満ちた山深くに
『わが末の世々に忘るな足柄や 箱根の雪をわけし心は』(後村上天皇)
さあて、今回はお寺のお話ですよ。
「なに?神社の話じゃないの?」
いやいや、神社とお寺、
神様と仏様。
完全に別なわけではないのです。
明治以前は、神仏習合といって、
神社とお寺は共存していた時代が長かったのです。
明治政府による『神仏判然令』により
神社とお寺は分離されたのです。
現在、神社によっては神仏習合色の残っているところも
ありますよね。
天狗が護り続けるお寺
『大雄山最乗寺』情報
所在地:神奈川県南足柄郡大雄町1157
[車利用]東名高速道路 大井松田ICより20分
[電車利用]
小田原駅~大雄山駅(大雄山線21分)
大雄山駅からバス30分
『大雄山最乗寺』
大本山永平寺(福井県)
大本山総持寺(神奈川県横浜市)
に次ぐ格の高い、曹洞宗のお寺です。
[ご本尊]釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
脇侍仏(わきじぶつ)として、
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)を奉安。
開山は、「了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)」によるもの。
ある日、1羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び、
大松の枝に袈裟を掛ける奇瑞を現じました。(袈裟掛けの松)
その啓示によって、この山中に大寺を建立、大雄山最乗寺と号しました。
應永元年(1394年)3月10日のことでした。
大雄山最乗寺の守護「道了大薩埵(どうりょうだいさった)」は、
修験道満位の行者「相模房道了尊者(さがみぼうどうりょうそんじゃ)」
でもあります。
尊者が、三井寺園城寺勧学の座にあった時、
大雄山開創にあたり、空を飛んで、
了庵禅師のもとに参じました。
土木の業に従事し、約1年でこの大事業を完遂したと。
應永18年3月27日、了庵禅師75歳にてご遷化(亡くなられました)。
道了大薩埵は、
「以降、山中にあって、大雄山を護り、多くの人々を利済する。」
と、天狗に姿を変え、
白狐の背に立ち、天地鳴動して山中に身を隠されました。
以降、「諸願成就の道了大薩埵」と称され、絶大な尊崇を集め、
十一面観世音菩薩の御化身であるとの御信仰を深くしています。
天狗さまの気配が感じられる大雄山最乗寺。
猫田家評価★★★★★(満点)おススメです。
次回は、大雄山最乗寺の不思議なパワースポットのお話ですよ~。
【神さまのおうち(House of Japanese God)チャンネル】
チャンネル登録はコチラ
コメントを残す