山形県米沢市へ
『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり』(上杉 鷹山)
夏が終わって、いきなり秋になり、猫田一族による山形県米沢市への一泊旅行が実現されました。
いつもの猫田一家(3人)&猫田両親(2人)&猫田妹一家(3人)⇒計8名
一族というには、こじんまりと、初めての一族による旅行。
諸事情により、我が家&両親は車で行ってきました。(すごく疲れるので新幹線利用を推奨)
宿泊地は、小野川温泉。塩分濃いめの温泉でした。
翌日は、「西吾妻スカイバレー」ドライブして紅葉を楽しみ、『上杉神社』を参拝、「米沢城址」を散策・・・。
と、皆楽しみにしていたのですが、雨。雨。雨。しかもドライブは寒いし。。。
雨、それもかなり降ってきてですね。
観光計画は「以下省略」的な展開で・・・。
写真とともに、米沢の様子を伝えたいと思います。
上杉神社
[所在地]
山形県米沢市丸の内1-4-13
[電車利用]JR米沢駅~バス「上杉神社前」下車
[車利用]無料駐車場あり。
[御祭神]
上杉謙信
[御由緒]『上杉神社』は「松が岬公園(米沢城址)」にあります。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつです。
上杉謙信が天正6年(1578)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られましたが、次代の上杉景勝が会津を経て慶長6年(1601)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷されました。
以後、米沢城二の丸の法音寺を主席とする十一ヶ寺が交代で祭祀を執り行ってきましたが、明治に入ると神仏分離令、廃城令などにより、謙信の遺骸が城内から上杉家廟所に移され、その守護のために法音寺も廟所前に移転しました。更に、城内に留まっている謙信の霊魂を神式で祀るため、十一ヶ寺次席の大乗寺の僧侶が還俗して神官となりました。この時、姓を大乗寺とし、現在も同家で宮司職を務めています。
併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社『上杉神社』としました。明治9年(1876)5月21日、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座されました。
明治35年(1902)には別格官幣社に列せられ、この時鷹山は新たに設けた摂社「松岬神社」に遷され、上杉神社は再び謙信のみを祀ることとなりました。
大正8年(1919)の大火で境内は本殿以下全焼し、現在に残る社殿が再建されました。
[御神徳]「勝負運」「諸願成就」「商売繁盛」「学業成就」
(続く・・・)
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