トイレが神ってる神社!?~大杉神社編~

とにかく、トイレに驚愕!

 

一年近く前、東北道か常磐道のSA・PAで、茨城県『大杉神社』のパンフレットをもらってきてましてね。

そのまま忘れてしまってたんだけど、ついこないだ、そのパンフレットを家の中で発掘しましたのよ。

当然「行こう!」となるわけで。

事前調査したところ、なんと、もの凄く立派なトイレがあるんですと!!!!

詳しいことは後程説明しますけど、どれくらい立派かというのを写真でチラ見せしときます。

 

どや!!

一流ホテル以上のグレードですぞ。

詳細な報告をお楽しみに!

それでは、『大杉神社』の基本情報から。

 

 

大杉神社

 

[所在地]

〒300-0621 茨城県稲敷市阿波958番地

[電車利用]

*JR成田線「佐原」駅~桜東バス「江戸崎」行~(「常陸幸田」で乗り換え)~「阿波」下車

*JR「土浦」駅~JRバス「江戸崎」行~(「江戸崎」で桜東バスへ乗り継ぎ)~「阿波」下車

*JR成田線「下総神崎」駅~直通専用バス(土日祝運行)/タクシーだと約15分

直通バス以外は本数が少なく時間もかかるので、事前によく調べてから行かれることをおすすめします。

[車利用]

圏央道「稲敷」IC~国道125号を右折約3キロ

参拝者用駐車場あり(無料)

[御祭神]

*御主祭神・・・倭大物主櫛甕玉大神(やまとのおおものぬしくしみかたまのおおかみ)

*配祀神・・・
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)

小彦名大神(すくなひこなのおおかみ)

 

 

[御由緒]

『大杉神社』の鎮座する場所は現在の霞ヶ浦、常陸川、利根川下流域、印旛沼、手賀沼、牛久沼、鬼怒川下流域、小貝川下流域を内包する常総内湾に西から東に向かって突き出すような地形のほぼ突端に位置していました。『常陸風土記』には安婆嶋として登場しますが、半島状地形にもかかわらず、かなり西側でくびれた地形をしていたため遠映としては島に見えたため、安婆嶋と呼称されたといわれております。

この一帯はかつて菟上之国という霞ヶ浦東岸域と東総域を治めていた小国の一部であったと伝えられています。菟上国は海上国とも表記され常総内湾の交易、産物を中心として成立した小国であったようですが、常総内湾においてランドマークの役割をはたす、大杉神社の巨大な杉は「あんばさま」と呼ばれ、常総内湾の人々の信仰の対象であり、人々の交通標識の役割を発揮していたと考えられます。後に内湾の西にあった茨城国に支配されるまでは菟上国のもっとも重要な神社であり、菟上国造の祀る神社のひとつでありました。その後北方の仲国から南下してきた一族が鹿嶋、香取の両神社を築き、東岸域を支配するとその交易権や、支配権は移譲されたものの、一般民衆の間では依然として海河守護の神様として信仰され続けられました。

神護景雲元年(767)当時都が置かれた大和国(現・奈良県)を旅立った勝道上人は、下野国二荒山(栃木県日光)をめざす途上にあり、大杉神社に着くとそこで病苦にあえぐ民衆を救うべく、巨杉に祈念すると三輪明神(奈良県三輪の大神神社)が飛び移り、病魔を退散せしめたところから、やがて大杉大明神と呼称されるところとなりました。 この大杉神社を御守護申し上げるべく延暦二十四年(805年)には別当寺として安穏寺が開基され、以降明治になるまで大杉神社は安穏寺の管理するところとなりました。文治年間にはその容貌が巨体、紫髭、碧眼、鼻高であった常陸坊海存(海尊)が大杉大明神の御神徳によって、数々の奇跡を示したことから、海存は大杉大明神の眷属で、天狗であるとの信仰へと発展いたしました。当初は烏天狗を御眷属としておりましたが、後に陰陽一対として鼻高天狗、烏天狗の両天狗を御眷属とすることとなりました。現在ではいかなる願いも叶えて下さったと伝えられる海存の奇跡に由来して、大杉神社を日本で唯一の「夢むすび大明神」と称し、鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれるようになりました。時代は下って、江戸時代初頭には当時江戸崎不動院(稲敷市江戸崎)にあった天海に雨をもたらす奇跡を与えた神社として知られ、以降天海は安穏寺の住職となり大杉大明神に仕えました。このため安穏寺および大杉神社は天海が住職を務める、上野寛永寺や日光輪王寺の直兼帯となり、明治になるまで輪王寺宮の兼帯するところとなりました。(『大杉神社』HPより抜粋)

 

ちょいと長くなってしまいました。次回は、いきなりトイレの話ですよ。続く・・・。

 

 

 

 

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